京都の街は、碁盤の目にまちが作られています。
交差点名は、交差する通りを並べると完成です。例えば「四条通」と「河原町通」の交差点は「四条河原町」のように、です。
私が個人的に悩むのは、どちらの通りを先にすべきかということです。京都の人は上述の交差点を「四条河原町」ということはあっても、「河原町四条」とはあまり言いません。
ここから先は私の推測ですが、「大きい通り」や「賑わっている通り」を、基本的には先に言う傾向があると感じています。
つまり「四条河原町」は、「四条通」の方が「河原町通」より賑わっている、ということです。
そんな観点でまちをうろうろしていると、妙なものを発見しました。それが、このバス停です。
なぜか。
市バスの人は大宮通を賑わっていると感じ、JRバスの人には五条通の方が繁栄しているように見えたのでしょうか?
いや、そこまで主観的な話ではないようです。少々歴史を紐解いていくと、興味深い推測が成り立ちます。
まず、バス路線の歴史を調べてみると、市バスのバス停(大宮五条)が出来たのは戦前です(正確には、その当時は前身の路面電車が走っていて、その停留所でした)。一方のJRバス(五条大宮)の運行は戦後に開始されました。
次に、道路の歴史の調べてみると、「大宮通」は戦前から賑わいのある通りだった一方で、「五条通」は戦前は細く賑わいの少ない通りだったようです。
この「バス停」と「道路」の歴史を組み合わせて考察すると、戦前の時点で賑わいのあった大宮通が先に来る形で、市バスのバス停(当時の路面電車の停留所)に「大宮五条」と名付けられたことは合点がいきます。賑わいの強い方を先に言うという原則に合致します。
戦後に作られたJRバスのバス停に関しては、戦中に行われた民家の強制移転を考慮しなければいけません。
戦前の五条通は狭い通りだったのですが、戦中、火災が街中に広がることを懸念し、その緩衝地帯として五条通周辺の民家を取り壊し、そこで火災の延焼を防ぐ、という政策がとられました。
その結果、戦後五条通はその空いたスペースを活用して大幅に拡幅されました。よって、戦後以降は、「大宮通」よりも「五条通」のほうが、道幅の広い通りとなり、その後に誕生したJRバスのバス停が、「五条大宮」と名付けられたのです。
日々こんなことを考えて生活しています。ご興味持ってくださった方、一緒に語り合いましょう😄