先日見つけた仁丹には、「西中筋通正面通上ル堺町」と書かれていました。
けれど、その真下にあるライオンズクラブが設置した表示板は、「堀川通正面上る堺町」でした。
同じ場所にあるのに、「西中筋通」と「堀川通」と、内容が異なります。それはなぜか。
謎をとく鍵は、地図をよーく見るとわかるのですが、堀川通がまっすぐではなく、蛇行しながら南北に伸びていることにあります。
マップに①で示した通りが、本来の「西中筋通」です。
②で示した通りは「堀川通」です。
そして、③で示した地点が、今回取り上げた仁丹の所在地です。
堀川通が、仁丹の所在地の少し北側で大きく蛇行していることが読み取れるはずです。まるで、堀川通が西中筋通を飲み込んでしまったかのようです。
実はこの現象、戦後堀川通は大幅に拡幅されたときに生じました。結果的に、拡幅以前に設置された仁丹にとってのその地点は「西中筋通」であり、拡幅後に設置されたライオンズクラブにとってのそこは「堀川通」となったのです。
では、なぜ、戦後堀川通が拡幅されることになったのか。それを計画した人は誰なのか。そこに住んでいた人たちはどこに引っ越しすることになったのか。
その答えにここではあえて触れませんが、一つの仁丹からそんな歴史に思いを馳せるとこのまちの違った表情を楽しめますね😊
蛇足ではありますが、この仁丹には他にも違和感があります。
「正面」の字だけ、インクの色が少し薄く、筆跡が異なるように見えます。また、2つ目の通り名である「正面通」にも「通」の標記が見られます(通常は省略されます)。
これらの謎にも、きっと歴史の奥深さが潜んでいるのでしょう。いつか謎解きに挑戦できたらいいな、と思っています。