上御霊神社の周囲には、かつて川が流れていたそうです。その旧流路に現在は鳶尾(いちはつ)の花が植えられ、季節を彩っています。
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神社に沿うように植えられた鳶尾。その数はおよそ4000株。
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角度を変えてもう一枚。鮮やかな紫が印象的。
御霊神社は応仁の乱勃発の地としても知られています。その案内板によると、神社を脇を流れていた川は「今出川」という川だったようです。
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右上に描かれた地図をよく見ると、上御霊神社の西側から南側にかけて「今出川」が流れていたことが読み取れる。
しかし、江戸時代の図会を眺めてみると、その川の名前が「中川」と書かれています。
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都名所図会の上御霊社の頁には、川の名前が「中川」と記されている。(国際日本文化研究センター 都名所図会データベース)
ここに流れていた川は、どんな流路をたどっていたのか。地域の人からはどのように呼ばれていたのか。今はどのようにその痕跡が残っているのか。
鳶尾の花の美しさに心奪われながら、そんなことを考えた早朝のお散歩でした。はやくコロナが終息して、以前のように思いっきりまちを散策できる日が来るといいな、と改めて思いました。