京都電気鉄道として開業、その後市電として昭和36年まで残った路線とは?

こんにちは、スタッフ江口です。

寒い一日でした。この寒さで紅葉も一歩前進しそうですね♪

今日も「京都検定、自転車で答え合わせ」、張り切っていきましょう。

今日の問題はこちらです。

わが国で最初の市街電車を走らせた京都電気鉄道は、大正7年(1918)に京都市に買収されたが、元の京都電気鉄道の路線で昭和36年(1961)まで残ったのは何線か。

(ア)稲荷線
(イ)伏見線
(ウ)木屋町線
(エ)北野線

第9回京都検定2級(9)

答えを求めて自転車に乗りましょう。

京都駅を出発した私は、洞院通から四条通へと入り、四条堀川から堀川通を北上することにしました。

そして、二条城の前に差し掛かった時、こんなステキなものに偶然出会いました。

マンションの前にチンチン電車の模型が展示してありました!

マンションの前にチンチン電車の模型が展示してありました!

模型の説明文。文章の上の小さなボタンを押すと、「チン」という音を聞くこともできました。

模型の説明文。文章の上の小さなボタンを押すと、「チン」という音を聞くこともできました。

ここで、もう今回の答えがわかってしまいました。明治28年に京都電気鉄道として開通、大正7年の市営化を経て、昭和36年まで運行されたのは、まさにこの堀川通を走っていた電車、北野線です。

通称「チンチン電車」と呼ばれた北野線の車両は他の市電より小さく、左右の車輪の幅も狭かったのだそうです。車輪の幅が狭いことから、NarrowのNをとって「N電」の愛称でも親しまれていたそうです。

せっかくなのでもう少し北野線の線路跡をたどってみることにします。

左右にある煉瓦造りの土台がかつて北野線の走っていた堀川橋痕跡。北野線の名残を残すかのように、現在は飛び石が設置されています。

左右にある煉瓦造りの土台がかつて北野線の走っていた堀川橋痕跡。北野線の名残を残すかのように、現在は飛び石が設置されています。

案内板には、かつての北野線の写真も掲載されていました。

案内板には、かつての北野線の写真も掲載されていました。

ここから先は中立売通りを西進します。

かつての大繁華街、千本中立売を過ぎると、北野線のイラストをそこここに見られるようになりました。「チンチン電車のまち」を前面に押し出した運営をされている北野商店街さんです。

アーケードに沿って、チンチン電車のイラストが並びます。

アーケードに沿って、チンチン電車のイラストが並びます。

京都こども文化会館では、壁一面にに彩られたかわいい路線図のモニュメントを見ることもできました。

北野線は、右下の京都駅と左上の北野を結んでいました。

北野線は、右下の京都駅と左上の北野を結んでいました。

小さな公園では、北野線のモニュメントを飾ったポールにも出会えました。

このポールの下には北野線の説明板もありました。

このポールの下には北野線の説明板もありました。

終点北野駅の手前には、石碑も建てられていました。

滋賀銀行の前に立てられている石碑。「京都市電北野線記念碑」と書かれています。

滋賀銀行の前に立てられている石碑。「京都市電北野線記念碑」と書かれています。

石碑の脇面には、「北野線(京都駅北野間)は明治二十八年九月二十四日京都電気鉄道により開通昭和三十六年七月三十一日の廃止まで日本最古の電車の面影を伝えて活躍した。」と書かれていました。

石碑の脇面には、「北野線(京都駅北野間)は明治二十八年九月二十四日京都電気鉄道により開通昭和三十六年七月三十一日の廃止まで日本最古の電車の面影を伝えて活躍した。」と書かれていました。

市電時代は10系統として活躍した北野線、惜しまれつつ昭和36年に引退してから、市バス50系統がほぼその路線を踏襲するように運行されています。

ということで、今回の問題の答えは(エ)北野線でした。
ではまた次回お会いしましょう~。