平安時代につくられた、外国使節のための宿泊施設とは?

こんにちは、スタッフ江口です。

しばらくお休みしていたブログを今日から再開してみようと思います。

しばらくは、京都検定の過去問をお借りして「京都検定、自転車で答え合わせ」をシリーズでお送りします。12月11日(日)に実施される京都検定を私も受験するのでその勉強も兼ねて…ということです。

では、早速はじめます。今日の問題はこちらです。

平安京には、朱雀大路を挟んで東西に外国使節の宿泊施設である(   )があった。

(ア)近衛府
(イ)鴻臚館
(ウ)主殿寮
(エ)豊楽院

第6回京都検定2級(2)

答えを求めて、自転車に乗りましょう。

京都駅を出発した私がまず向かったのは、市立中央図書館のとなりにある平安京創生館です。平安時代の問題は、ここに来ればほぼすべて解決します。とりわけ平安時代の京都を再現した大きなジオラマが秀逸で、何度見ても飽きることなく眺めていられます。

平安京創生館のジオラマ。1000分の1のサイズで当時の様子が再現されています。

平安京創生館のジオラマ。1000分の1のサイズで当時の様子が再現されています。

このジオラマのうち、中央を貫く大きな通りが朱雀大路で、道幅は約84メートルもあったそうです。84メートルというのはハンマー投げの室伏広治選手の自己記録とほぼ一緒。道の端から端までを使えば、室伏選手がハンマー投げの練習をできたくらいの広さということです。広いですね!

そして、その朱雀大路を挟んで左右対称に存在する2つの施設が今回の問題の答えです。

答えの部分を赤い点線で囲ってみました。

答えの部分を赤い点線で囲ってみました。

ジオラマを堪能した私は、自転車に乗って、その施設があっただろう場所を目指しました。朱雀大路は現在の千本通に相当するので、千本通を南へと歩みを進めることにします。

そして、二つの案内板を見つけました。

ひとつは「西鴻臚館跡」と書かれた案内板です。中央卸売市場に面した七条通沿いに立てられていました。

西鴻臚館跡の案内板。

西鴻臚館跡の案内板。

現在は京都市の中央卸売市場になっています。普段は業者さん専用ですが、第二土曜日には一般市民向けの公開イベントも開催されています。

現在は京都市の中央卸売市場になっています。普段は業者さん専用ですが、第二土曜日には一般市民向けの公開イベントも開催されています。

ふたつめは「東鴻臚館址」と書かれたこちらの案内板です。江戸時代に花街として栄えた島原の地に存在していました。

東鴻臚館址の案内板。となりには新選組にまつわる石碑もありました。

東鴻臚館址の案内板。となりには新選組にまつわる石碑もありました。

東鴻臚館の跡地には、のちに「島原」として花街が形成されました。

東鴻臚館の跡地には、のちに「島原」として花街が形成されました。

案内板によると、ふたつの鴻臚館はともに現在の迎賓館の役割を担っていて、渤海国(かつてアジアに存在した古代国家だそうです)の使節団をもてなすために使われたと書かれています。きっと雅やかなおもてなしをしていたのでしょう、できることなら参加してみたかったです(笑)。

ということで、今回の問題の答えは(イ)鴻臚館でした。

ではまた次回お会いしましょう~。